大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 平成8年(行ウ)65号 判決 1998年1月21日

大阪市中央区法円坂一丁目三番四号

原告

小島明

右訴訟代理人弁護士

吉井昭

大阪市中央区大手前一丁目五番六三号

被告

東税務署長 太田和男

右指定代理人

塚原聡

西浦康文

平田豊和

村松徹哉

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が原告に対してなした平成六年一月三一日付け平成四年分贈与税の決定処分及び無申告加算税の賦課決定処分(以下併せて「本件処分」という。)を取り消す。

第二事案の概要

一  別紙物件目録記載一の土地(以下「本件土地」という。)について、平成四年七月一五日付けで、原告の兄である小島創一郎(以下「創一郎」という。)から原告に対して所有権移転登記手続がなされたところ、被告は、原告が創一郎から本件土地の贈与を受けたものと認定して、本件処分をした。本件は、右の贈与を否定する原告が本件処分の取消しを求めた事案である。

二  争いのない事実、証拠(甲二、七、一九、二二、四三、五二、乙一、三の1、2、四)及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実

1  創一郎及び原告は、亡小島金次(以下「金次」という。)を父とする兄弟(創一郎は長男、原告は四男)であり、昭和三二年、創一郎を事業主、原告を専従者として、小島印刷所という屋号で印刷業を始めた。

創一郎及び原告は、昭和三九年一月八日、小島印刷所を法人化して株式会社コジマ印刷(以下「コジマ印刷」という。)を設立し、創一郎が代表取締役に、原告が専務取締役に就任した。

2  本件土地は、もと訴外吉村徹穂(以下「吉村」という。)の所有であったが、昭和三四年六月九日付けで、売主を吉村、買主を創一郎とする売買契約が締結され、同月一〇日付けで、右売買を原因とする吉村から創一郎への所有権移転登記がなされた。

3  原告は、平成四年一月、創一郎を被告として、大阪地方裁判所に対し、本件土地につき真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続を求める訴えを提起し(当庁平成四年(ワ)第六八号事件。以下「別件訴訟」という。)、同年六月一七日、請求認容の判決を得た。そして、原告は、同年七月一五日、右判決に基づき、真正な登記名義の回復を原因する所有権移転登記(大阪法務局同日受付第一七四三二号。以下「本件移転登記」という。)をした。

4  原告が平成五年三月一五日までに平成四年分の贈与税の申告をしなかったところ、被告は、原告が創一郎から平成四年七月一五日付けで本件土地の贈与を受けたものと認定して、平成六年一月三一日付けで、本件処分をした。

原告は、本件処分を不服として、被告に対し、平成六年三月三日、異議申立てを行ったが、同年六月二九日付けで、右申立ては棄却された。そこで、原告は、同年七月二八日、国税不服審判所長に対し、審査請求を行ったところ、同所長は、平成七年一二月六日付けで、右請求を棄却する旨の裁決をした。

右の経緯及び本件処分の内容は、別表1記載のとおりである。

5  被告主張の贈与が認められた場合、贈与税額等は以下のとおりとなる。

(一) 取得した財産の価額(課税価格)

相続及び贈与により取得した財産の価額は、法定された特定資産を除き、財産の取得の時における時価によるものとされている(相続税法二二条)。

原告が取得した本件土地を、「相続税財産評価に関する基本通達」(昭和三九年四月二五日付け直資五六・直審(資)一七国税庁長官通達。ただし、平成五年六月の改正前のもの。以下「評価基本通達」という。)及び評価基準に基づいて評価すると、その価額は、別表2の<18>欄のとおり、一億七二九二万一四九一円となる。

贈与税の課税価格の計算は、その者について、その年中において贈与により取得した財産の価額の合計額をもって、贈与税の課税価格とするところ(相続税法二一条の二)、原告が平成四年中に贈与により取得した財産は、本件土地のみであると認められることから、原告の平成四年分の贈与税の課税価格は、一億七二九二万一四九一円となる。

(二) 贈与税額

贈与税額の計算は、課税価格の合計額から贈与税の基礎控除額六〇万円を控除した金額に、相続税法で定めた率を乗じて計算した金額となるから(相続税法二一条の五、七)、本件の贈与税額の計算は、別表3のとおりであり、税額は一億〇九七二万四七〇〇円となる。

(三) 無申告加算税

期限内申告書の提出がなかったことについて正当な理由があるとは認められないから、国税通則法六六条一項の規定により、右贈与税の額(一万円未満切捨て)の一五パーセントに当たる一六四五万八〇〇〇円の無申告加算税が課されることになる。

三  争点

1  本件土地を昭和三四年に吉村から買い受けた者は、原告か創一郎か。

(一) 被告の主張

本件土地は、創一郎が、小島印刷所の事業所用地として使用するために、小島印刷所の事業に係る収益金で購入したものである。すなわち、

(1) 収入が何人の所得に属するかは、何人の勤労によるかではなく、何人の収入に帰したかで判断される問題であるところ、小島印刷所は、創一郎が当初から一貫して事業主であり、事業の全般を統括すべき責任ある立場にあったのであるから、小島印刷所の収益ないし損失は、創一郎に帰属する。

原告は、事業専従者であり、創一郎の入院中の一時期、実質的に小島印刷所の営業に貢献していたとしても、あくまでも創一郎の従業員として創一郎の支配下で職務遂行していたにすぎないのであるから、その間の小島印刷所の収益も、やはり創一郎に帰属する。

創一郎は、右罹病中においても、小島印刷所の収益を自己の所得として所得税の確定申告をしている。

(2) 本件土地の売買に当たり、契約書上創一郎が買主とされ、創一郎名義の所有権移転登記がなされた上、右土地の登記済権利証は、当初は小島印刷所またはコジマ印刷の金庫で保管され、その後創一郎名義の貸金庫で保管されていた。

(3) 創一郎は、昭和三六年一二月、本件土地上に、別紙物件目録記載二の建物(以下「本件建物」という。)を、小島印刷所の事業所として建築した。本件建物についても、当初創一郎名義で所有権保存登記がなされ、その一階部分を小島印刷所及びコジマ印刷が使用しており、コジマ印刷の設立時から平成五年六月一日までの間、同会社の登記簿上の本店所在地は、本件土地建物所在地であった。

(4) そして、本件建物については、創一郎から原告に対し、昭和六〇年六月二〇日付けで、贈与を原因とする所有権移転登記(大阪法務局同日受付第一七六〇五号。以下「本件建物移転登記」という。)がなされ、原告は、右の贈与について贈与税の申告をし、これを納付した。

右移転登記がなされる以前は、創一郎がコジマ印刷から本件建物の家賃の支払を受け、右登記以後は、原告が右家賃の支払を受ける一方、創一郎は、原告から本件土地の地代を受領している。

(5) 本件土地及び建物には創一郎及びコジマ印刷を債務者とする根抵当権が設定されていたし、本件土地の換地処分による精算金を創一郎が受領している。

(6) 別件訴訟の既判力は当事者にしか及ばない上、同訴訟は、創一郎が原告の請求原因事実を認めたことにより原告の請求が認容されたものであって、受訴裁判所が事実関係の真偽を判断したものではない。

(二) 原告の主張

本件土地は、原告が吉村から代金一六〇万円で購入したものである。右の購入資金一六〇万円のうち、一二〇万円については、自己資金として小島印刷所の昭和三三、三四年度分の収益から支出し、残額四〇万円は、金次からの借入れにより調達した。

本件土地の登記名義を兄の創一郎名義としたのは、対外的な仕事上の信用を考慮したためにすぎない。すなわち、

(1) 創一郎は、昭和三三年初めから、結核により体調を崩し、同年八月から翌三四年の二月まで入院し、退院後も療養を続け、昭和三四年四月に復帰するまで、全く就労できなかった。当時、小島印刷所は、開業間もない上、協力業者が火災に遭うという事件もあって、未だ事業として体制が確立していなかった。このような時期に、原告は、小島印刷所の実質的な経営者として全権を掌握し、友人である稲村六合雄(以下「稲村」という。)を雇用し、営業を可能な状態として収益をあげた。これに対し、創一郎は、右の間病臥に伏し、小島印刷所の事業に全く寄与ないし貢献しておらず、形式上の事業主にすぎなかった。

(2) 個人企業の収益が、誰にどれだけ帰属するかは、企業収益中に占める労務その他企業に対する個人的寄与に基づく収益部分の割合によって算定されるべきである(最高裁第二小法廷昭和四三年八月二日判決・民集二二巻八号一五二五頁参照)。原告は、前記のとおり、創一郎罹病の間、小島印刷所の営業全般に大きく貢献したものであって、この間の小島印刷所の収益は、原告に帰属し創一郎には帰属しない。

(3) 創一郎は、病気療養中無収入であり、原告から生活費の援助を受けていたものであって、本件土地を購入する資力はなかった。また、創一郎は、昭和三四年当時既に他に自宅を所有しており、新たに本件土地を購入する必要性はなかった。

(4) 原告は、昭和三六年一二月、約一二〇万円の費用を投じて、本件土地上に本件建物を建築し、その二階部分を原告ら家族の住居として使用してきた。原告は、昭和四三年から昭和五九年までの間、八回にわたり右建物の増改築を原告の費用で行っており、右増改築に当たって創一郎に対し承諾を求めたことはないし、これに対し創一郎が異議を述べたこともない。

(5) 前記二3記載のとおり、原告と創一郎との間においては、別件訴訟において、本件土地の所有権は原告に帰属していたものとして解決済みである。

2  本件土地の取得時効の成否

(一) 原告の主張

原告は、本件土地及び建物を、昭和三六年一二月一四日から昭和五六年一二月一四日までの間、所有の意思をもって占有しており(又は、昭和四六年一二月一四日までの間、所有の意思を持って占有し、右占有の初めにおいて善意無過失であった。)、前記1(二)(4)記載のとおりの所有の意思を認めるべき客観的事情も存在するところ、平成九年六月一三日、創一郎に対し、本件土地及び建物の取得時効を援用する旨の意思表示をした。

(二) 被告の主張

前記1(一)記載のとおりの諸事情からみれば、原告が本件土地につき所有の意思をもって占有していたとは到底いえない。

第三争点に対する判断

一  争点1について

1  前記第二の二で認定した事実に証拠(甲二、四、八ないし一一、四〇の1ないし4、四一、四四ないし四六、五七、六〇、六五、乙四、五、六の1ないし5、証人小島創一郎、甲一六、一八及び原告の各一部)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、甲一六、一八及び原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は、右の各証拠に照らしてたやすく採用することができない。

(一) 創一郎は、昭和二〇年代から、訴外太陽美術印刷株式会社(以下「太陽印刷」という。)に勤務していたが、昭和三一年一二月、独立開業するため同社を退社し、昭和三二年二月、小島印刷所を開業した。原告もまた、太陽印刷に勤務していたが、創一郎の事業を手伝うために退社し、事業専従者として小島印刷所の業務に従事し、給与所得を得ていた。

(二) 創一郎は、昭和二五年に当時の大阪市東区内久宝寺町(現在の中央区上町)に宅地を購入した上、昭和二八年頃同地上に居宅を建築し、妻子、両親及び原告ら弟妹とともに居住していた。創一郎は、昭和三二年の小島印刷所の開業に当たり、その事業所を右自宅に置いたが、右自宅は手狭でもあり、事業所として他に適当な場所を探していた。

(三) 本件土地は、創一郎、金次及び原告らが相談した結果、小島印刷所の事業所及び原告の将来の住居を建築するための用地として昭和三四年六月に吉村から購入された。右売買の交渉の場には創一郎と原告がともに立ち会った。売買代金額は約一六〇万円であったが、そのうち少なくとも一二〇万円は、昭和三三、三四年度の小島印刷所の収益から支払われた。本件土地の買主及び登記名義を創一郎とすることについて、原告から異議は出なかった。

(四) 昭和三六年一二月に本件土地上に本件建物が建築されたが、その費用も全額小島印刷所の収益をもって支払われた。そして、創一郎は、同月二三日付けで、本件建物について自己名義での所有権保存登記をしたが、その際にも、原告から異議は出なかった。本件建物が完成した直後頃、小島印刷所の事業所は前記の創一郎の自宅から本件建物の一階部分に移され、また、そのころ結婚していた原告夫婦も、同建物の二階部分に入居した。

(五) コジマ印刷は、昭和四五年に大阪市東成区深江に土地を購入して工場及び営業所を建築し、営業の拠点を同所に移転したが、右移転後も、本件建物の一階部分を倉庫等として使用している。なお、コジマ印刷の登記簿上の本店所在地は、昭和三九年の設立時から平成五年六月三日に右深江工場所在地に移転されるまでは、本件土地建物の所在地とされていた。

(六) 本件土地及び建物には、昭和三七年には創一郎を債務者とする根抵当権が設定され(いずれも昭和四一年に抹消)、昭和四二年、四四年にはコジマ印刷を債務者とする根抵当権がそれぞれ設定された(いずれも昭和四九年に抹消)。

(七) 本件土地の登記済権利証は、当初は創一郎の前記自宅で、次いで本件建物内の小島印刷所及びコジマ印刷の事務所にある金庫で保管され、その後昭和五〇年代までは創一郎名義の銀行の貸金庫で保管されていた。また、創一郎は、昭和五四年頃、本件土地の土地区画整理による換地精算金を受領した。

(八) 原告は、昭和六〇年頃、本件建物の登記名義を自己に移したいと考え、コジマ印刷の顧問税理士に相談の上、贈与を原因として所有権移転登記手続をすることを計画し、創一郎の承諾のもとに、同年六月二〇日付けで右の登記手続(本件建物移転登記手続)を実行した。そして、そのころ原告は、右の贈与について贈与税の申告をし、約六〇万円の贈与税を納付した。

(九) コジマ印刷は、本件建物移転登記がなされる以前は、創一郎に対し、本件建物の賃料として月額一二万円を支払っていたが、右登記がなされた後は、原告に対して右の賃料を支払うようになった。そして、原告は、コジマ印刷から受領する右一二万円の賃料のうちの四万円を本件土地の地代に充てるものとして、創一郎に対してこれを支払うようになった。

(一〇) 原告は、平成四年一月、創一郎との事前の交渉もなく、別件訴訟を提起した。これに対し、創一郎は、請求棄却の判決を求め、当初原告が本件土地を購入したとする請求原因事実については不知と述べていたため、原告本人尋問などの証拠調べが行われたが、同年六月四日の第四回口頭弁論期日において、創一郎が請求原因をすべて認めると陳述を変更したため、同月一七日、請求原因事実に争いがないとして請求認容の判決が言い渡され、右判決に基づき、同年七月一五日、本件土地移転登記がなされた。

以上の認定事実からすれば、本件土地は、小島印刷所の事業主である創一郎が、その事業に係る収益金で購入したものであり、同人の所有に属していたものと認めるのが相当である。

2  原告の主張について

(一) 原告は、前記1(三)で認定した本件土地の購入代金中の一二〇万円の支払に充てられた小島印刷所の昭和三三、三四年度分の収益は、原告に帰属すると主張する。

(1) 証拠(甲一六、一八、六一、原告)及び弁論の全趣旨によれば、創一郎は、昭和三三年七月、肺結核を発病し、同年八月一日から昭和三四年二月一日までの間入院したこと、この間、原告は、友人の稲村を雇い入れ、懸命に小島印刷所の営業活動を行ったこと、創一郎も、原告の努力を知り、原告の営業活動に口出しすることを控えていたことが認められるけれども、他方で、証拠(乙五、証人小島創一郎)によれば、創一郎は、右入院の間も、従前と同じく、自己を事業主、原告を事業専従者とする所得税の確定申告を行っており、小島印刷所の経理上も、創一郎の入院費用を店主貸し勘定で支出するなどしていたこと、創一郎は、退院後も、通院治療を続けながら、昭和三四年四月には仕事に復帰し、昭和三五年後半には全快したことが認められる。

(2) 所得が何人の所得に帰するかは、何人の勤労によるかではなく、法律上何人の収支計算の下に行われるかによって決定すべきものであり、個人の行う事業により得た収益は、当該事業の経営方針の決定について支配的影響力を有するものと諸般の事情から認められる者に帰属すると解するのが相当である。

これを本件についてみると、昭和三二年に創一郎を事業主、原告を事業専従者、すなわち従業員として開始された小島印刷所の事業形態は、創一郎が病気療養中であった昭和三三、三四年の間においても、基本的な変化は見られず、実質上も創一郎が事業主であったものと認められる。

すなわち、右(1)で認定したとおり、創一郎が全く就労できなかった期間は一年にも満たなかった上、右の間も小島印刷所の収益は創一郎の所得として所得税の確定申告がされていたというのであるから、創一郎の病気療養期間においても、創一郎及び原告においては、小島印刷所の事業主は創一郎であると認識していたものと推認され、そうすると、右期間において現実に営業活動を主体的に行ったのは原告であるものの、それはあくまで創一郎が復帰するまでの一時的なものとして、創一郎の支配的影響力の下でなされたものであって、依然として実質的な事業主は創一郎であったものというべきである。

したがって、右期間中の小島印刷所の収益は、創一郎に帰属するものというべきであるから、原告の主張は採用することができない。

なお、原告が引用する判例は、本件とは事案を異にするものであって、適切ではない。

(二) 原告は、本件土地の購入代金のうち四〇万円については金次から借り受けた旨主張し、甲一六ないし一八、五七の各供述記載及び原告本人尋問の結果中には右の主張に沿う部分があるけれども、これらは乙五及び証人小島創一郎の証言に照らしてたやすく採用することはできない。

なお、仮に、金次が本件土地の購入資金として四〇万円を援助した事実があったとしても、右事実のみでは前記1の認定を覆すことはできない。

(三) また、原告は、本件建物は自己が建築したものであり、建築直後から二階部分に居住して、以後創一郎の承諾なく本件建物の増改築を行ってきたと主張する。

しかしながら、前記1(四)で認定したとおり、本件建物の建築費用は全額小島印刷所の収益から支払われたものであって、これに前記1認定のその他の事実をも併せると、本件建物は、創一郎が小島印刷所の事業所及び原告の住居に充てるために建築したものであり、原告は、昭和六〇年に贈与を受けるまでは、その二階部分を創一郎から無償で借り受けていたものと推認することができる。そうすると、原告が本件建物に居住し、その主張の増改築を施した事実が認められるとしても、前記1の結論を左右するには足りないというべきである(親族間で居住用の建物の使用貸借が行われた場合において、借主である居住者が自己の費用で修理又は小規模の増改築をすることは不自然とはいえない。)。

(四) なお、原告と創一郎との間において別件訴訟の判決が確定していることは、原告の指摘するとおりであるが、右判決の既判力は被告に及ばない上、前記1(一〇)で認定した別件訴訟の経緯からすると、右判決が確定しているからといって前記1の判断の妨げにはならない。

二  争点2について

原告は、昭和三六年一二月一四日(本件建物の完成時)を起算点とする本件土地及び建物の時効取得を主張するが、前記一2(三)で説示したように、原告は、右のころから本件建物の二階部分を使用貸借により占有していたものというべきであるから、本件土地及び建物に対する原告の占有は他主占有ということになり、したがって、原告の主張は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないことになる。

三  以上によれば、本件土地は、平成四年七月一五日付けで創一郎から原告に贈与されたものということができるから、本件処分は適法である。

(裁判長裁判官 鳥越健治 裁判官 戸田彰子 裁判官 出口尚子)

物件目録

一 所在 大阪市中央区法円坂一丁目

地番 三番三

地目 宅地

地積 一三三・〇五平方メートル

二(主たる建物の表示)

所在 大阪市中央区法円坂一丁目三番地三

家屋番号 三番三

種類 事務所兼居宅

構造 木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建

床面積 一、二階 各五八・五七平方メートル

(附属建物の表示)

符号 1

種類 倉庫

構造 木造亜鉛メッキ鋼板葺平家建

床面積 六一・九一平方メートル

別表1

原告の平成4年分の贈与税の課税の経緯及びその内容

<省略>

別表2

本件土地の価額の計算明細書

<省略>

別表3

贈与税の計算明細書

<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例